2007年08月04日

スタンダールの恋愛論

スタンダールとは何ぞや?!
彼はグルノブール出身のフランス小説家。
実は本名はなんだかちょっぴり可愛い「マリ=アンリ・ベール」という。
スタンダールっていう名前は、ドイツの小さな都市 シュテンダルって所に由来しているらしい。。うむぅ なんだか駄洒落っぽいね。。。

そのスタンダールさんなのですが、彼は弁護士の家に生まれたいわゆるボンボンだったようです。
でも、7歳の頃に母親を亡くしてしまい。その後は異常な程に母への偏愛感情があったらしい・・(マザコン?)その反動なのか父親に対しては憎しみを抱いていたらしい・・・(怖)

だからなのかお父さんとは全く正反対に彼はロマンチストの共和主義者としてその生涯を送ったと言います。
因みに、彼は1783年1月23日生まれで、1842年3月23日にパリにて脳溢血で倒れてご臨終。

そんな彼が1822年、44歳の時に発表したのがこの『恋愛論』なのです。

スタンダール曰く、恋愛は4つのタイプがあるのだとか。

情熱的恋愛
趣味恋愛
肉体的恋愛
虚栄恋愛

なんだか全部、漢字で中国語っぽいけど・・

とりあえず、めんどくさいので、Wikiより下記の文を貼り付けることにします。

スタンダールの分類によれば、恋愛には4種類あるとする。情熱的恋愛、趣味恋愛、肉体的恋愛、虚栄恋愛(「恋愛論」大岡昇平:訳)。
どんなに干からびた不幸な性格の男でも、十六歳にもなれば(肉体的恋愛)から恋愛を始める。
また恋は心のなかで、感嘆、自問、希望、恋の発生、第一の結晶作用、疑惑、第二の結晶作用という7 階梯をたどるとする(同上)。
あらゆる恋愛は6つの気質に起因し、多血質(フランス人)、胆汁質(スペイン人)、憂鬱質(ドイツ人)、粘液質(オランダ人)、神経質、力士質の、それぞれの影響が恋愛の諸相に関与するとする。なお、スタンダール自身は『恋愛論』の序文(1826年)において、「この本は成功しなかった」と述べており、論の展開は「必ずしも理由がなくはかない」と告白している。


なにぞや、すっごい私には解読が難しいのですが。

フランス人が多血質・・多血質・・!?それって血の気が多いという意味なのか?!と私は思ってしまったので早速調べてみました。

多血質とはルドルフ・シュタイナーの気質分類によると、
多血質はアストラル体が優勢。(えぇ。。。更に解らなく・・・T0T)

アストラル体とは神智学などでいう人や動物の重層的な身体のひとつ。魂体とも幽星体とも訳される。

ルドルフ・シュタイナーの説明によれば体(物質体+エーテル体)は感覚を通して人間に色、形、香り、味、感触などを伝える。感覚から受け取られた世界は魂の中に表象として現われる。魂内部の情動により表象は快・不快、共感、反感と結びついて経験される。すなわち内的経験はアストラル体によって可能になる。 鉱物と植物にはないが、動物と人間にはあるとされる。

とりあえず・・・私の中の理解能力をフル活動して考えた結果は・・多血質とはタブン、血の気が多いってことではなさげ。(答えになってませんw)

スペイン人の胆汁質・・・スペイン人は。。胆石なのか?!
これまた ルドルフ・シュタイナーさんによる気質分類によると・・
胆汁質:自我が優勢ってなっている。。。
自我・・自分だよね?!なんで胆汁なんだ・・なんでなんだ・・・
うー・・・ワカラナイ・・ワカラナスギル・・・

ドイツ人は憂鬱質・・憂鬱って・・・欝?!病んでしまうってこと?!
またまたこちらも、ルドルフさん・・によると

憂鬱質:肉体が優勢

憂鬱・・・肉体が優勢・・え?!本能のままに?!ってこと?!


オランダ人の粘液質 粘液質・・粘。。。粘・・・ス・・ストーカー?
ルドルフさん・・曰く
粘液質:エーテル体が優勢 (エーテル体って・・エステール?)
エーテル体(えーてるたい)とは神智学などでいう生物の重層的な身体のひとつ。

最外層の身体である物質体(肉体)を形作るものであることから、「形成体」、生命を維持するものであることから「生命体」とも呼ばれる。

実体として捉えられた生命力でありオーラや気などと同一視されることもある。

ルドルフ・シュタイナーによればエーテル体は鉱物にはないが、植物と動物と人間にはある言う。エーテル体がなければ体の形は崩壊するとされ、死によって、体からエーテル体が分離することによって、肉体の崩壊が始まるという。


うう。。。深すぎる・・深すぎて解らない T0T


恋愛って誰もが経験し、いつまでもそのドキドキを味わっていたかったり、また辛く切なくてこんな思いをするくらいなら好きになんてならなきゃよかった T9Tなんて思ってみたりと、私たちからは切り離せない感情なのに。。。それを分析したとしたらこんなにも複雑で難しく。
経験した事があるにもかかわらず、理解不能で。(あたしの頭ではねw)

でも私がなんだか、ほっとしたのは、結局 論の最後に「必ずしも理由がなくはかない」と述べたスタンダール

人間の感情を幾つかにまとめてしまうなんて結局、誰にも出来ないのかもしれないなって思った。
大まかにまとめる事は可能なのかもしれないけれど、結局はその人の価値観や考え方一つでいくらでも、変わってしまう。

恋愛に答えを出せるのは誰でもなくってその時の自分だけなのではないかと思ってしまったのでした。

実際は難しすぎて断念したという・・・のが本音ですがw

間違った捕らえ方を私はしているかもしれないけれど、でも
誰かを思って大切にしたくなったり、会いたくて会いたくて仕方が無かったり。

ドキドキしたり、ワクワクしたり、相手の一言で一喜一憂してみたり。
そんな自分に酔って見たり、酔わせてみたり。

恋愛が出来る私たちは幸せって事かもね。

誰かを愛せる自分が居ること。
誰かに愛してもらえる自分が居ること。
誰かを大切に思う自分が居ること。
誰かが自分を大切に思ってくれること。

片思いだろうが、両思いだろうが
人を愛せるのは素晴らしいって事さ!

ってな結論 (ぶ
ニックネーム やんちゃりか at 02:37| Comment(0) | ぼそっ
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